毎日ルーチンでイベント足したりしてたら、だんだん内容が濃くなってきたわ。初めからプレイしたら、何していいか分かんないくらい選択肢自由。フリーシナリオ&マルチエンディングって名作の最重要要因ですやん(笑)こりゃその辺の商業大作RPG越えるかもしれんくらいの濃さというイキガリ(俺はそういう事をいう下らないゴミです)でも変数とスイッチが後々足りなくなるような気がして、不安なのもある。スイッチはせめて50000くらいないと余裕持って出来ない気も。あれこれ惨めったらしく、気にしながらやるのって貧乏くさいし、限られた制限の中、アイデア先行のヤツって、今の時代にはマッチしてるけど、プレイヤー自体もアイデアゲームやってたら惨めったらしくなっちゃって、カタルシス薄まるじゃん。現実逃避の為のゲーム内でも奴隷かよって。しかもそれでしこたま金とられてって、文化の奴隷かよって思うな。漫画ともそうだな。今の漫画、アニメってストレス溜まるわ。ジメジメ陰鬱。ナメクジかよ。爽快さもジンワリなんだよね。インポ気味のオナニーですやん。ジンワリ射精って・・・思いっきり、顔射とかしたいじゃん?
思いっきり持てる全てをブツけないと、面白くならない。市販の洋ゲーはある種、国策的な所もあるから、全力感が半端ない。あの全開感は、かなり色んな面で勉強になるわ。人間の本質が一番先頭にこないと、文化の奴隷を増やすだけだし。それだけじゃ、業を詰みあげるだけ、本当の意味でいずれ”俗物”んなる。あんなの”俗物”だよって?君が誰かの”評価”にエネルギーを注いでいる時、また違った誰かは日々成長の為に”鍛錬”している現実。勝者は常に後者なんだよな。だから言葉、知識、権威に惑わされないようにしないとね。人が持つ社会性というリミッターを解除すると、持て余すくらいの”生きる力”が沸いて出る。これはいつも言ってるけど、普遍性だのなんだのに固執して、本来持ってるパワーをセーブしてる人が多いぜ。勿体ないな。もったいないは日本人が生んだ最高の”クールジャパン”なんだぜ。こんなクールな発想できるのは日本人だけ。五回下げたら、一回は上げる。これ日本人のセオリーよ。俺は誰がなんと言おうと日本人。これは嘘をつきようがない現実なんだ。だから全ての方法論も日本的になるぜ。塗り替えようがないくらいの現実。多くの日本人に嫌われようが、現実なんだ。あの春の桜吹雪の美しさに、嘘はつけないでしょう?見直すと、話がそれまくって何をいいたいのかわかんなくなってる。つまりクラシカルブッカケ洋ジャパンRPG的になっていると言う事。っわかるかあー!
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